Ernest Rutherford (アーネスト・ラザフォード)
1871年8月30日、ニュージーランドのネルソンで誕生。 彼の父ジェームズ・ラザフォード(スコットランドの車修理工)は、1842年にアーネストの祖父と家族全員とニュージーランドに移住。 1898年、ウラン放射線中のアルファ線とベータ線について研究成果を発表 モントリオール・マクギル大学に移り、アルファ線の放出に関して様々な研究を行う。R.B.オーエンズと共同でトリウムの「放射物」を研究、そして新しい貴ガス(ラドンの同位元素)を発見(後にトロンとして知られる)。 1900年にオックスフォードからマクギル大学にやってきたF・ソディ(1921年ノーベル化学賞受賞)とともに、原子のレベルで放射性現象を考える放射能の「壊変説」を唱える。後に核分裂を発見するオットー・ハーン(1944年ノーベル化学賞受賞)は、1905-06年モントリオール研究所でラザフォードの下で働いた。
1908年、ノーベル化学賞受賞 1910年、アルファ線の散乱の研究に着手 1912年、ニールス・ボーア(1922年ノーベル物理学賞受賞)が研究に加わる。 1919年、マンチェスター大での最後の年、特定の軽元素(例えば窒素)の核がアルファ線の影響によって壊変し、その過程で高速陽子が生ずることを発見。後にブラケット(1948年ノーベル物理学賞受賞)は霧箱を用いて、実際に窒素が酸素同位体に変わることを証明する。 G. de Hevesy(1943年ノーベル物理学賞受賞)もまた、マンチェスターにおけるラザフォードの研究協力者の1人でした。 1919年、トムソン教授の後任となりキャベンディッシュ研究所教授に着任。 彼は多数の将来のノーベル賞受賞者を育成 「キャベンディッシュにおける大多数の優れた実験は、ラザフォードの直接あるいは間接的な提案によって開始された。」と評されている。 彼の人生の最期まで旺盛に研究を続け、 1937年10月19日、ケンブリッジにて永眠。 彼の灰は、ウエストミンスター寺院のアイザク・ニュートンの墓の西隣りに埋めらた。 生前の趣味はゴルフと自動車 |
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